コラム&エッセイ

3.11から10年「世界津波の日」に思う

「世界津波の日」

11月5日が「世界津波の日」だということを知ったのはまさに昨日だった。

自然災害の多い国「日本」に住んでいながらも、平穏な日々を暮らしていると、やはり津波などはどこか遠い国の自分たちとは関係ないことのように思えてしまう日常である。

私自身、3.11が起きた時は丁度、個人事業主から法人化するために奔走していた時期であり、大きな取引が決まるか決まらないかで気を揉み奮闘し、身を削って働く、そんな時期だった。

3/10に法人化が無事に完了してホッと肩を撫でおろした翌日に当時東京に住んでいた弟から「すごい地震だけどそっちは大丈夫?」と電話がかかってきたことで知ることになったのを覚えている。

そして、気仙沼向けの荷物が届けられず、気仙沼在住のお客様とやりとりをしたのを覚えている。リアルに感じたのは正直それくらいだ。

我が家はテレビを持たず、YouTubeも今ほどコンテンツが豊富ではない時代だったので、情報は限られていた。あの後、多くの人が沖縄に移住をしてきたし、反原発運動も相当なものだった。

大変な何かが起こっているということだけはジワジワと感じることができたけれど、日々の暮らしに追われているとどんな災害だって身をもって体験しなければ、当事者としての自覚がなければどことなく対岸の火事で済まされてしまう、そんなものだ。

高台から望む景色は西の海と東の海が拝めて普段はとても穏やかで素晴らしい

当事者になるかもしれないという初めて持った危機感

3.11から10年が経って、ふとした瞬間に以前とは比べ物にならないくらいに溢れるYouTubeのコンテンツの中から3.11の悲劇が繰り返されないようにという祈りにも近いような悲しみ溢れるドキュメンタリーや、人々の悲痛な叫びとリアルな悲劇の映像がオススメ動画として流れてきた。

オススメされても・・・と戸惑いながらも、これがgoogleのアルゴリズムか。と、ツラツラと当時の演技でもなければセットやCGでもないノーカットの信じられない光景の出来事が次々と目に入ってきた。

目に入ってきても留まらなければ意味がない。

そんな私の目に留まらせるきっかけになったのは、娘が生まれ、そんな娘が沿岸から1分以内の保育園に通っているという事実だった。ここで初めて、「当事者」になるかもしれないという自覚が芽生えた。

海岸沿いの保育園は普段はとても素晴らしい。お散歩ロープを持って2歳や3歳にもならないような子供たちが海沿いを歩いてお散歩していく姿やその光景、そしてその経験はかけがえのないものになるのだと思っている。

私たち家族は高台に住んでいて、高台から海を拝むような形で車でなだらかな坂を下りていき、日々、キラキラと輝く海を窓越しに眺めながら、「海綺麗だね」と娘に語り掛けハンドルを切って送り迎えするのは心が豊かに感じる瞬間でもある。

ただ、ひとたび災害が起きたらどんなことになるだろうか。私自身は、海沿いからは少し離れた高台に住んでいるので、どちらかというと津波という言葉よりも「洪水」や「土砂災害」「地滑り」という言葉に敏感になるハズだ。

実際、土地を購入する時にはハザードマップを見て危険区域に相当しないかどうかを確認した。一応、地滑り区域や土砂災害区域からはかろうじて外れてはいたけれど、長雨や記録的な大雨、地震などが重なれば安心といわれる場所だって危ない。

だから既にそういったワードには非常に敏感に反応するのだが、大切な家族の身の危険を感じると、自分の事以上に心配を募らせ、「津波」に対する危機感を今まで以上に持つようになった。

今朝、携帯で津波の避難訓練ハザードが鳴った

防災意識と防災バッグ

沖縄は本土に比べると非常に地震が少ない。けれど、調べると沖縄トラフの存在もあり、南海トラフの影響だって受けなくはない。

実際、あまり知られていないことの方が多いみたいだけれど、津波の被害自体は沖縄は受けているのである。
沖縄は台風の被害の方が大きいので台風対策には慣れているけれど、地震や津波は案外盲点だったりする。

友人の母が60年ほど前に沖縄県内の比較的海に近い地域に住んでいた頃(とはいっても1km以上は離れていたとは思うが)、そんな場所で津波の被害を受けている。おそらく時期的にはチリ津波の頃なのでその影響での津波だったのではないかと思われるが、箪笥が水没するくらいの津波が押し寄せたと話していた。

一気に押し寄せたわけではなく、じわじわと来る津波だったので逃げる時間があったから、その地域では人が亡くなることはなかったとのこと。違う場所では少ない人数ではあるが数名なくなっている。調べるとすぐに出てくる記事もある。

地球の裏側からやってきた津波は即時に甚大な被害をもたらすことはなかったかもしれないが、近海で起きる地震、あるいは直下型がもたらす被害は想像するだけで身の毛がよだつ。もちろん、地震があったからと言って必ずしも津波がくるとも限らないし、確率としては低いのかもしれないけれど、可能性が0ではない限り甘く見てはいけない。

実際に、内閣府が出している「南海トラフシュミレーション」や「首都直下型地震シュミレーション」の動画を見てみると、日本にもたらす被害は計り知れない。

日々の生活の中ではなかなかそんなことを意識しながら過ごすのは難しいけれど、せめて、11.5「世界津波の日」、3.11「東日本大震災」、9.1「防災の日」(関東大震災)くらいはちゃんと意識をして、防災バッグの中身や防災マニュアルの確認、避難経路のシュミレーション等をするのが良いと思う。

我が家にもまだきちんとした防災バッグがなかったので、インターネットで調達した。そして家具等の固定、家族内での防災マニュアルの話し合い、地域のハザードマップの確認、園の防災マニュアルなどは再確認しようと思っている。必要であれば声を上げることもいとまない。うるさいやつかもしれないけれど、家族に一人、地域に一人、そんな人が必要なんだと思っている。

ここは大丈夫という慢心が悲劇を生む

東日本大震災に関するニュースを辿っていくと、様々なストーリーに出会う。大川小学校石巻市日和幼稚園の悲劇に対して、釜石の奇跡名取市立閖上保育所の奇跡大槌保育園(現おおつちこども園)の受け渡し後の課題など、そこから学べることはたくさんある。

奇跡は偶然なんかじゃなくて、普段から緊張感を持って取り組んでいるところに必然に起きる。

ここは地震や津波が来ないから大丈夫。そんな慢心が悲劇を生む。現に、地震が少ないから安心というスローガンで企業誘致までしていた熊本でだって地震は起きている。

こんなに熱く長々と語ってしまったけれど、要は、あらためて防災の大切さの情報共有をしたい。

私自身が生きている間に自分が住んでいる地域では起きるかもしれないし、起きないかもしれない。

そうかもしれなくても家族の誰かが、1人でもいいので情報を共有できた人が、身近な人に、あるいは後世に伝えることができたならそれでいいと思っている。

その他、各都道府県が動画をアップしています。