食というアート
▼ 前回のエッセイ
・iinaの旅
春ですね。今私は桜が舞う景色の中でこれを書いています。自然はとても美しいですね。何があっても同じように毎年四季を刻む。このように凛と生きたいものです。
桜、といえば、お花見。たくさんの人。そしてたくさんのブルーシート。プラスチック容器に入った食べ物。転がる缶チューハイ。。。
ねえ!侘しいよ。佗しすぎるよ。。美しい桜の花びらの着地点がブルーシート?桜を見上げながら頬張るごはんがプラ容器にスカスカのお惣菜?生温い缶ビール?
花より団子もへったくれもない。なんなら桜すらも見てない。なんだ?なんなんだこれは。
食べてるごはんが添加物たっぷりとか、野菜が無いとか言ってるんじゃないんですよ。
ただただ、美しくない。
どうして特別なイベントなのにもっと食を楽しまないのだろうか。もっと自分のセンスを使って最高のお花見をデザインしようとはしないのだろうか、と思うんです。
序盤から飛ばしましたが、今回は「食とワタシ」がテーマ。
私は「食べもの」が大好きです。食材、調味料、加工品から食文化に至るまで、食べ物に関することにとても興味を惹かれます。
食べることも好きですし、作ることも好き。それは何かきっかけがあったとかそういうことではなく、けど子供の頃からずっとそう。
伊勢丹の地下をただただ食材を見てうろついて2時間過ごしたことがあります。(結局何も買わない)海外旅行では必ず市場やスーパーマーケット情報を必ず調べ、マップにピンを落とし、1日かけてハシゴします(なんなら観光の一番の目的)メニュー表はオーダーが終わっても見たいので、回収されると悲しみます。(読み物として最高)
食べ物全般が大好きなので、それがVEGANかどうか以前の話で、コンビニの新商品を観察して、このようなものが今流行っているんだな、とかファミレスのメニューなんかも、私にとってはとても面白い図鑑のようなものです。
「食」というのは、私たち生命体が命を繋ぐのに必要不可欠なものです。興味があるないに関わらず、私たちは自分自身を動かすガソリンとして毎日、食事をします。
その為か、食に重きを置かれない。おざなりになっている事実がある。仕事で遅くまで残業するが為に食事は適当。美容に気を遣って色々塗りたくっているけど、コンビニ弁当。
身体にいいもの食べようよ、とかそんなんじゃない。色がないよ。生活に華がない。もちろん、日常生活ではどうしてもそんな時間が取れない時や、本当に心が参って準備したりできないこともある。
自分もそう。自分のために作るの面倒だな、とか何が食べたいのかわからずキッチンに立って見たものの何を作ればいいの?と思考停止してしまったり。
それでもお花見や誕生日、結婚式や特別なイベントの時くらい、自分と自分の周りの人たちを楽しませ、そのイベントを彩る食べ物を準備したい。買ってもいいし、食べに出てもいい。もっと「食」を使って自分の生活をデザインしようよ。
今日は何着ようかな?と服や靴をコーディネートするように、カーテンの色やラグマット、家のインテリアを選ぶように、今日は何が食べたいかな、また、なんの栄養素が不足してるかな、どんな気分かな、そんな気持ちを少しでも食に向けて創造性を持つと、すごく自分が“生きている”って強く感じれるんじゃないかな。
また、食べ物だけじゃなくてそれを入れる器とか、それこそさっきのビニールシートとかそういった食に関わるものもコーディネートしようという心遣いが、もっともっと自分の生活を豊かにしてくれると思うのです。
わたし、食は“五感を網羅した芸術”だと思っています。
人には五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)があって、絵画は視覚に訴える芸術。音楽は聴覚に訴えます。彫刻や服などは触ってその素晴らしさを感じることが出来るものもあると思います。
その点、食は五感全てをフルに表現できる、素晴らしい芸術ではないでしょうか。そういったものは食以外考えられません。
色鮮やかであったり、盛り方であったり。サクサク、パリパリとした音だったり。香ばしい焼いている香り。鼻に抜けるハーブの風味。滑らかな舌触りや舌が痺れるようなスパイスの感触。五感を存分に使い切って堪能できるし、表現もできる。それ故一番ハードな芸術。
だからわたしはクリエイターと名乗るし。研究家でもいいけど研究しているだけじゃないし。表現までして完成だから。
最初の回の方でわたしが「俗に言うヴィーガニズムの精神を持ち合わせず、VEGANはひとつの料理のジャンルだと思っている」といったようなことを書いたように、芸術作品を作ろうとしたときに選ぶ材料が野菜なだけ。
油絵の具を使って描くと油絵というジャンルの絵ができる。同じ彫刻でも石膏で作るのかはたまた木を彫って作るのか。キャンバスに描くのか紙に描くのか。皆それぞれ自分が表現したいものをあらわすのに、好きな材料を用いる。
わたしも同じだ。野菜や穀物やフルーツ。そういったものを画材として使って描いているだけのこと。なんで?って言われてもその材料が好きだから。色や形や存在が好きだから。わたしが表現したいものに合っていると思うから。
好きなものに理由なんてある?それこそセンス、感覚です。自分だけのセンスで、選び、デザインする。
だから、芸術、ひとつのアートとして食をみたときに、肉を食べることが悪いとかいうこと自体がナンセンス。だって油絵は良くて水彩画は良くないって言ってるのと一緒でしょ。
別にいいじゃん、人それぞれで好きなものや良いと思ったり悪いと思ったりするものがあって当然。
宗教とか派閥みたいなものでそれぞれがそれぞれのセンスで描いてるものに対して、それは間違っていると言ってしまうのが戦争の始まり。こっちの方がいいよって言うのまではいいとして、無理やり取り込もうとしたり、ネガティヴキャンペーンみたいなもので脅したり。
どっちが正解でどっちかが不正解なんてことは芸術にはあり得ないことです。アートにそんな馬鹿らしい論議は不必要。答えの出ないことで、食の世界を狭めたくない。
料理は数学じゃない。1+1=2にならない。それは材料が生きているから。不完全で変容しているから。いつも同じ条件じゃないから。そんなことで食はわたしに難題を突きつけ、翻弄してくるのです。
そうすると、レシピは方式じゃ全く無くなる。レシピ本出しておきながらこんなこと言うのもなんなんだけども、もうずっとレシピってナンセンスだな〜って思って過ごしてる。(ちゃんと教室では出してますし、ある意味では大事なものだし、作るのはすごく大変です)
ほんと参考数値程度。日本人の平均体重はこのぐらいでーす。みたいなもの。
だから面白くって、奥が深い。答えが出なくて未知数だからこそ研究のしがいがあるし何パターンもやり方がある。だからこそ勘ってものが育つのです。
勘を育てなきゃ料理はできませんよ。訓練です。
わたしはこれからも、死ぬまで寄り添う「食」を、私たちを魅了してやまない食の世界を、探求して大いに遊びたいなと思っています。
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