エディット・ジャパン 堺あゆみさんの素適な暮らしと40代からのチャレンジ Vol.2
フリーの編集者という肩書を持ちつつ、パレスチナからフリーカを輸入されているエディット・ジャパンの堺あゆみさん。前回の記事では都内で素敵に暮らす堺さんのご自宅をご紹介いたしました。Vol.2では、2人の女の子を育てながら起業をし、夢を追いかけて活躍する堺さんのキャリアや子育てについてお聞きしました。
▼ 前回のエッセイ
・「エディット・ジャパン 堺あゆみさんの素適な暮らしと40代からのチャレンジ Vol.1」
Q あゆみさんのキャリアについてお聞かせください。
私は元々、大学ではコミュニケーション学専攻で、ジャーナリスト・ディレクター志望でした。陽の当たらないテーマを拾い上げて社会へ投げかけ陽を当てる、というTVのドキュメンタリー制作をしたいと熱望していました。
現在、パレスチナの伝統的食材を輸入し自分なりのアプローチでトレンドとして発信しているという点でもそれは似ているかもしれません。紛争のイメージが強いパレスチナを、豊かな食材とブランディングでイメージを少しでも変える、違う一面を発信するという点でも。
そんな夢を持ちテレビ局を中心に就職活動をして、結構いいところまではいったのですが結局内定がもらえなかった。すごく悔しかったのですが、その当時就職氷河期ということもあったので、とりあえずどこかに就職して社会人になろう、と。旅行好きだったので、旅行会社に就職することにしたのです。
ただ、旅行会社に就職したものの、いかんせん、事務仕事・接客に向いていなかった。鉄道に詳しい、いわゆる鉄道マニアなお客様にこてんぱんにやられていました。新人で店頭に立っていたころ、分厚い時刻表に書かれている細かいことを、質問されても答えられず、先輩には「聞く前に自分で調べろ」と教育されていたので資料を探しながら調べていると「遅すぎる」とお客様にどなられ……泣いてしまったこともありました。笑
でもやはり若い頃勤めた会社、社会人として最初の会社というのは大切ですね。「まずお客様のことを第一に考えること」「指示される前に自分で気づいて能動的に行動すること」など、今となっては社会人としての基礎を学ばせてもらってとても勉強になったと思います。
旅行会社の後は、念願の、メディア関係に転職し編集に携わりました。当時は激務でしたが、念願のメディア関係だったので、徹夜でもなんでもこなしていました。クリエイティブなお仕事がしたかったので刺激的でとても楽しかったです。やはり編集の仕事はタフさが必要とされるので、肉体的にもキツかったのですが、やりがいがあり、全く不満はありませんでした。若かったから出来たということもありますが。
ただ、第一子が生まれてからは流石に仕事がキツく感じるようになりました。子供がいることで思いっきり仕事ができないことに対しても後ろめたさがあったり。。その時、上司に「あなただからこそこの仕事をお願いしたいのよ」と言われたことがとても励みになりました。
子育てをしながら仕事をしているお母さんたちはそんな一言にとても救われるのではないのでしょうか。周囲にも励まされなんとか続けていましたが、さすがに限界を感じるようになり、結局は退職する運びとなりました。
その後、独立してフリーランスの道を歩みました。ある程度の人脈やネットワークを築いていたので営業なしでもお仕事をいただいたり、自分なりのペースで仕事ができたり、子育てをしながら働くにはとてもよい環境でした。ただ、フリーランスの編集も長く携わるようになると、慣れが出てきてしまい、徐々に刺激を感じることが少なくなってきている自分に気が付きました。
良い意味でも悪い意味でもややベテランになってしまい、マンネリ化というか成長している自分を感じられなくなる。もちろん、求められたことに対して120%、200%こたえるというのが私の仕事の上での信条なのですが、自分に「このままでいいのか?」と問い続ける日々が続いて。
Q 仕事と子育ての両立は大変でしたか?
大変どころではなく、現在も絶賛両立に悩み中です。私って不器用なのかもしれませんが、両立できていると思ったことがないです。どんなに仕事が残っていてもお迎えの時間はやって来て、子どもたちはお腹をすかせている、洗濯物いっぱい、行事の準備もいっぱい、でもまだ仕事が終わらない、夫の深夜帰宅だったり出張だったり・・・・・・毎日いっぱいいっぱいです(笑)。
昨日も、3歳の次女が歌って踊っている横で原稿書いてましたから。近くに頼れる身内もいないので、子どもが体調を崩したときなどは家で看病しながらの仕事が続き、特に大変ですね。
第一子を33歳で、第2子を40歳で生みました。子供を授かったことには本当に感謝をしているのですが、やはり仕事のペースダウンはしないと成り立たない。夫は仕事が本当に好きで没頭するタイプ。私も子供を産む前はそうだったので、仕事に没頭し、会社という組織で認められている夫をうらやましく思ったり、もっと子育て手伝ってよ、と求めるようになったり。
私自身は2人の子供を育てるうちに、徐々に家に引きこもるようになってしまった時期もあり、夫との関係もぎくしゃくして。きっと子供を産んだばかりでホルモンバランスの乱れだったり、あとは子育てのストレスもあったのかもしれませんが、当時はなんだか私だけが家族の犠牲になっているような気がしてしまって・・・
のびのびと育つ、個性豊かな長女のたまちゃんは元気いっぱい。
SNSなどで活躍している女性の投稿を見るとなんだか羨ましく感じてしまったり、社会から取り残されている感じを抱えてしまった頃もありました。なんとなく不機嫌になってしまい、家族に八つ当たりしてしまったことも。
もちろん、私にとって家族は最も大切な存在なのですが、私はやっぱり仕事が好きだし、自分自身がワクワクすることに触れていたり、幸せじゃないとダメなんだなーと感じた時でした。
ワガママで贅沢な悩みだということは百も承知ですが、家族が幸せになるためにはまず私が笑顔にならないと、と。
Q なぜ、起業しようと思ったのでしょうか。
起業というのが先ではなく、フリーカがきっかけでお仕事をさせていただくうちに、事務的な手続きで会社にしたというのが正しいかもしれません(笑)。
ちょうど、子育てと社会との繋がりとの葛藤があったり、自分のキャリアに迷いを感じ始めていたからでしょうか。学生の頃から興味のあった途上国支援だったり、フェアトレードなどに、再度、徐々に興味を持つようになったのですね。
家事、仕事全てを最短距離でこなせるように、限られたスペースさえもアイデア次第で書斎になってしまう。
それから、ふと気付くと私自身も40歳という年齢に差し掛かっていました。私は母親を47歳で亡くしているので、意外にも母が亡くなった年齢まであと7年しかないのかと考えたらなんだか急に、このままでいいのかな?何か行動を起こさなくちゃと感じるようになったのかもしれません。
ちょうどその頃、長女のお友達がパレスチナに赴任したご縁で、家族でパレスチナへ遊びに行った時がありました。そこで、フリーカと運命の出会いを果たしたのです。親友にすすめられて初めて食べた時に、「これだ!」とピンと来て、そこからは猛スピードであれよあれよと輸入販売するまでに至りました。様々なハードルを越えなければならず、リスクもあったので本当に大変でしたが。
Q 旦那様はなんと?
私が輸入するかするかしないか悩んでいた時や、輸入を始めてからもたまに愚痴を言ってしまうこともあるのですが、「楽しめないなら辞めた方がいい」と夫から常に言われています。
私はストレスコントロールが苦手だから怖いのもあるかもしれませんが(笑)また、フリーカの輸入販売に関しても「フリーカを輸入して売れなくて余ってしまったら、おいしいんだからみんなで食べればいい。失うものはないから、とりあえずやってみなよ。」と、今度は彼が私の背中を押してくれました。
私自身もやはり、実家の被災や、母を早くに亡くしたつらい経験があって、その経験に比べれば、何かにトライして失敗しても、あれ以上辛いことはない。死ぬわけじゃないし。40代だって、子供がいたって、自分の人生を諦めなくていいんだ。学生の頃からやりたかった事を今やらないと、いつ死んでも後悔しないくらいの人生を歩めないなと強く感じたので思い切ることができました。
夫と出逢って20年以上が経ち、いろいろありましたし、だいぶ古びれた夫婦関係にはなっていますが(笑)、やはり夫が居てくれるからこそ今があるし、お互いがお互いを尊重して支え合って家族が成り立っているのかなと、そう、感じて感謝しています。
リビングでは大きなモンステラが生き生きと育つ。
Q 起業してからの交友関係などに変化はありましたか?
そうですね、今までとは違うフィールドの方々や各方面で活躍されちる方と知り合うことが増えてとても刺激的です。今日も、ホームパーティをするのですが、きっとこの食やフェアトレードのお仕事をしていなかったら出会えなかった方々なんだろうなと実感しています。お客様含め人との出会いがこの仕事の醍醐味ですね。
この日は様々な分野で活躍する友人が一堂に集い、パーティーを開催。皆、持ち寄りで様々な食材が集まる。
こちらはフリーカ入りのサモサ。
キッチンには世界各国のスパイスや面白い食材に溢れている。
モロヘイヤスープはパレスチナのおふくろの味。フリーカにとてもよく合う。
ラム肉をハーブやスパイスでさっと手早くグリルしておもてなし。
Q お子様にはどのように育ってほしいですか?教育方針などは?
特にこれといった教育方針があるわけではありません。もちろん受験前などは勉強頑張って欲しいとは思いますが、やはり、勉強だけではなくて生きる力を持った子に育ってほしいと願っていますね。
自分で見て考えて行動できる子、自分の感性を大事にする子に育って欲しいです。体験や経験も大切ですよね。チャンスは親が与えるものだと思っているので、小さいうちにいろいろな事を経験させてあげたいなと思っています。
もちろん、パレスチナなどの途上国へ子連れで一緒に行ったのもそういう気持ちがあるからなのですが、ただ、私の場合、教育のためというよりはやっぱり私自身が楽しくなくちゃ始まらないという思いもあって、それに家族を巻き込んでみんなで楽しんでいるという部分の方が大きいのですけどね。笑 子供に関して欲はどんどん出てくるけど、元気が一番!と思ってます。
可愛さ満点の次女のカコちゃん。
子供部屋も工夫して上手にスペースを生かして可愛らしく仕上げている。
Q パレスチナのフリーカについて教えてください
フリーカは、青麦(麦がまだ若芽の状態)をローストした古代穀物です。私が輸入しているパレスチナ産の有機フリーカは、昔ながらの製法で職人が手作業でバーナーで焼いています。この方が香ばしさが際立ち美味しいフリーカが出来るんです。ご飯のように炊いて食べるのが基本で、現地ではお肉のつけあわせにしたりスープにしたりして家庭でよく食べられるおふくろの味。
食物繊維とタンパク質が豊富で低GIなので、欧米ではスーパーフードとしても注目をされています。私は和食にも合う!絶対日本人が好きな味!と思って輸入を決めたのですが、日本でみなさんに召し上がっていただくと「なにこれ!?香ばしくておいしいー!」「なんのお出汁が入っているのですか?」とおっしゃるぐらい、フリーカ自体にコクと旨味があるのが特徴。
これからの季節は、お野菜たっぷりのスープや鍋の〆などにもおすすめです。フリーカの旨味があるから出汁やブイヨンもいらないんです。
フェアトレード商品なので、フリーカを販売することそのものもパレスチナの農家の方々にとっての支援になるのですが、やはりメディア関係にいたという経験を生かしてマーケットを開拓していっているので、たとえば雑誌に紹介されたとか、テレビに取材されたとか、大手百貨店さんとの取引が決まったなど、現地の方々はそういうのを見たり聞いたりするととても喜んでくれています。
お金だけを出して、はいどうぞ。ではなくて、やはり現地の方と交流してその結果どうなったんですよという情報をしっかり届けることが、規模は小さくても現地の方々のモチベーション、本当の意味での支援にも繋がるのかもしれないと思っています。
Q 今後の展望は?
これはあくまでも夢のまた夢なのですが…小さくてもいいのでお店をやりたいなという夢はあります。世界中で集めたeditJAPANのコンセプトにあった食品や雑貨を販売して、美味しいご飯が食べられて、みんなが気軽に集まっておしゃべりできるような場所。
お金がかかるのでなかなか実現は難しいと思いますが。私、85歳で夢をかなえた人生の先輩でもある知人がいるのですね。その方を見習って、夢だけは大きく描いています。それまで地道にフリーカやこれから取り組むプロジェクトなどを一生懸命進めていければと思っています。
時々、友人や知人を招いて開催するパーティー。各分野で活躍する女性から多くの刺激を受ける。
フムスとピタパン。中東料理はフリーカをきっかけに作るようになった。
文・写真 : 伊藤芳子
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