コラム&エッセイ

9.11

今日は、9月11日。あれから何度目のこの日を迎えたのだろう。

今まで、あまり9月11日だからといってあの日のことについてあれこれ書いたことはなかったけれど、なぜだか今は書きたい衝動に駆られる気分だ。

ちょうど16年前の9月11日の朝、私はNYのブロンクスのアパートの地下で呑気に洗濯をしていた。
大学を卒業後、オクラホマからNYへ引っ越しをして、アラジンホテルという安宿や知人宅を頼りながら探しまくったNYのアパート事情はなかなか厳しいものがあり、クイーンズのメキシカンコミュニティや、ユダヤ人がオーナーというエレベーター無しの少し傾いた古びれたイーストヴィレッジのアパート、いかつい黒人のお兄さんたちが昼間からたむろする窓ガラスが割れて今にも銃声が飛び交いそうな危険地帯に足を踏み入れたようなハーレム地域の安いアパート。あまりにも駅から遠すぎて住むには非現実的なブルックリンのオシャレなアパートetc…などなど、ありとあらゆる場所に足を運んだものの、定住先がなかなか見つからない。やっと見つかったと思ったら1か月以上経っても待てど暮らせどオクラホマからの荷物が届かない。固定電話がつながらない。ネット環境なんてもっての他。とにかく生活の糧を支えるありとあらゆる全ての日常が整わない中、計画通りにいかず、流されるままに過ごし、ストレスからなのか全身に蕁麻疹が出た。そんな思い通りにいかない日々を憂いていた頃。優しい不動産の老夫婦に出会い、やっと決まった住処はブロンクス。少しずつ、まともな生活ができるようになって少しホッとして、アパートの地下で洗濯なんかもできるようになった矢先。

日本にいる母親から「そっちは、大丈夫?」と電話がかかってきて事の重大さを知った。
 

9.11

NYの夏の終わりの空はいつものように晴れやかに高く、部屋の窓から見える地下鉄の駅の上空にカモメが飛び交う姿が交錯する。なんら変わりのない1日の始まりだったはずなのに。地下鉄が止まる鈍い渇いた音が心なしかストップして不気味な無音の景色を眺めていたような気がする。当時、テレビもなければ携帯電話も持っていなかったので、まさかそんな情報が日本から入ってくるとは思ってもいなかった。

案の定、その日は地下鉄でダウンタウンまで行くことができず、部屋の中で足止めを食らってしまった。唯一外部と連絡が取れるのは引っ越し後、やっとの思いで取りつけた固定電話一つだけ。就職するまでのつなぎと思ってとりあえず始めたバイト先に電話を一本入れなくちゃ。誰も出るわけもないのに…意外にも人がいた。「今日はお休みでいいよ」。

地下鉄が動き出したのと同時にダウンタウンへ行こうとしたけれど、14丁目以降はIDがないと入れず、ユニオンスクエアの駅周辺はごったがえしていた。それからずっとかなりの長い間、街中は混沌としていた。

それはその日からそれほど遠くないある日、私はイーストビレッジのスターバックスでコーヒーを飲んでいた。いつもの賑やかなイーストビレッジは閑散としていて、それでも日々少しずつ日常を取り戻していかなくてはいけない1日1日の積み重ねの中で、人々はマスクをしながら街を歩いていたり、少し浮かない顔をしながら平常心を保つのに必死だった。その日、私がコーヒーを飲み終わろうとしたその瞬間、スターバックスから見える一角に消防車が一台止まった。ポツリポツリと人がまばらでガランとした町中に、大きな歓声が上がった。絶対数は少ないながらも街に出てきている人々の心が一つになった瞬間。ああ、きっと、彼らはこれからあの場所で日常のかけらを拾い集めて、元通りにする役目を果たしてくれるんだ。顔からこぼれる無意識の綻びと、純粋な心の声が溢れ出て、柄にもなく無邪気に声援を送った。Firefighter(消防士)たちはヒーローだった。

この出来事で人生がガラリと変わってしまった人もいるであろう中、私自身や身内の命にかかわるような事が起きた訳ではなかったけれど、それでも私にとって結構大きく人生の道筋を変えてしまった分岐点になったのかもしれない。大学卒業したての私にとっては結構切実な問題だった。NYのビジネスが完全にストップしてしまったのだ。様々な困難を経て、遅ればせながらも8月の終わり頃からやっと腰を据えて開始できた就職活動だったのに。
どこにレジメを出しても決まらない、インターンすら受け入れてもらえない、挙句の果てに、新しく決まったルームメイトは職場を解雇されていた。刻々と過ぎていく日々に焦りを感じていた。このままでいいのかだろうか・・・
ただ、私自身にも問題があったのは分かっている。大人になりたくない症候群とでも言うのだろうか。ミッドタウンの高層ビルやウォール街のお堅い職場へ面接へ行っても、なんだか浮き足立ってしまい、夢見る気持ちでリアルな現実を突き付けられているようで、全然馴染めそうにないなという思いだけが強くなって、そんな気持ちで数少ない面接を受けても決まるわけもない。

夕暮れ時に、部屋の片隅で日が沈んでいくのを待つだけの日々が続いていた。
学生という肩書がなくなって、少しの不安と、迷いと、戸惑いと。。そんなのを背負いながらも大人になっていく階段を否定しながらも上っていたのかもしれません。

ただ、ある時なぜか、全てが急にふっきれたように、私の中で何かが変わった瞬間が訪れた。

就職活動なんてやめてしまえ。

両親にはホント申し訳なかったけれど、とにかく動こうという思いが強くなり、ただじっと面接の連絡が来るのを待っているだけの日々をそそくさと卒業して私は動き出した。

動き出したと言っても、とりあえずのバイトをしながら、オクラホマ時代にNYに夢見る学生だった自分が買った雑誌のNY特集片手に、とにかく毎日必ずどこかへ足を運ぶという日々を過ごした。カフェやギャラリー、美術館、B級映画館、食材店、ブックストア、週末のパーティ、ライブ、クラブ、音楽イベント etc..

その時に見たもの、感じたこと全てが今の私の糧になっている。

そして、その中で、ついに出会ってしまったのがマクロビオティックのお店だった。

就職活動を放棄した私が出会ったのは30年以上も前からマンハッタンのど真ん中で営まれていたマクロビオティックのお店。

不思議な出会いだったけれど、きっと何かに導かれていたんだ…と思うようにしている。

結局、私はNYを後にする日まで、そのお店でマクロビオティック三昧の日々を過ごすことになって、それからの私には食、オーガニック、ヴィーガン、ヨガ、そしてついにローフードやスーパーフード、LLMPに出会う道筋が出来ていたのでした。

何かが変わった9.11

その頃出会った、物や事、人が全て私の中の重要なストックとなって今につながっているんだと思う。

人生、渦中にいると上手くいかなくて苦しくてもがいていたことが時として、後々の人生の好転に繋がっている。なんてことは良くあるものだ。

今、こうして沖縄にいるのもなんだか不思議なんだけれども。

 

あれから16年も経ったのかと思うと、随分、私も大人になったのかもしれない。

 
 

presented by
LIVING LIFE MARKETPLACE