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インド洋とシギリアロックを臨む、スリランカの旅

スリランカの旅700

急遽決まったスリランカへの旅。
あまりにも急だったため、今回は人生初の海外ツアーに申し込む。

ツアーとは言っても、同じコースを同じ日程で周る人がいなかったため、
旅行中は主人と2人だけで周るほぼ個人旅行に近い旅となりました。
集団行動が苦手な私達にとっては願ってもない条件。笑
添乗員もいないので、沖縄から成田まで飛んで、そこからコロンボへ直接、自分たちだけで向かいます。
コロンボまでは成田から約8時間程度。
こちらのツアー、12月後半から4月くらいまでは1人10万円以上高くなるというから、ラッキーでした。

バワ建築、アーユルヴェーダ、シギリアロック、(あと、価格。笑)というキーワードだけで決めたツアーだったので
内容も日程もあまりよく把握せず出発の日が近づいてしまったのですが、
コロンボに着くと、えっと、ここからどうするんだろうね。って話を主人としていたら(それくらいツアー会社に確認しとくべきだよね。笑)
私の名前が書かれたプレートを持った笑顔が素敵なコロンボ人のマーダワさんがお出迎えしてくれました。
こんなのは初めてだ!

しかも、日本語も英語も通じるんですよ!
しかも、迎えに来てくれたのが白のプリウス!!驚き!

わー、なんだか、旅っぽくないというか、
寝泊まりする宿やどうやって目的地までたどり着くのかとか、
場所によっては現地人ガイドとの価格交渉だとか、そういうのを心配しなくていい
ちょっとした贅沢感を味わいました。笑

マーダワさん曰く、
どうやら、スリランカでは国を挙げての政策かはわかりませんが、
先ず、学校へは全員タダで行けるそうです。
そして、各国語の授業があって、自分が興味のある言葉を選んで学べるんだそうです。
そういう訳で、各国語を操る、スリランカ人ガイドが非常にたくさんいます。
英語を話せる人もすごく多くて(文法が似ているらしい)
えー、この現地人のおじさん、絶対英語無理でしょーっていう人まで(訛っててかなり聞き取りにくいものの)英語をしゃべります。
なので、各国語や英語を操るガイドが非常に多いので、個人旅行の様にツアーを組む事も可能のようです。

シギリヤロックにも行きましたが、
英語、中国語、フランス語、イタリア語、どこの国か分からない言葉…etcを喋ってガイドしている現地の人を見るのは
未だかつて初めてです。
世界遺産のような観光地を旅する、という旅行をあまりしたことがないからかもしれませんが、
そんな異様な光景を見て、ちょっと感動したものです。
スリランカ人スゲー。。(ウルウル)

治安もとても良く、(発展途上国にしては)街も綺麗、自然も豊かな国、スリランカ。
マーダワさんが「いまのだいとうりょうがいいんです」と言っていました。
数年前には内戦があって、とても危険だったのですが、今は非常に治安は良いようです。
人もとても控え目で、優しくて、穏やかで、すごく好感を持てました。
マーダワさんは、数年前に日本にいたらしく、
最初は東京で語学の勉強をして、その後、群馬で溶接の仕事をしていたようです。
東京は自分に合わなかったけれど、群馬はすごく良かったって。(どうりで日本語がちょっと群馬訛り。)
日本での仕事は大変だったけれど、すごく頑張って、お金をためて、
スリランカで紅茶の農園を買ったんだって言っていました。
そして、1年半前くらいからツアーガイドを初めて、
半年前くらいに中古の白のプリウスを450万円で購入!(マーダワさん頑張ったね!)
「ねんぴがとってもいいんです」
「とよたはいちばんにんきなんです、そのつぎ、にっさんなんです」
と、いうものだから、“燃費”って―!そんな言葉をスリランカ人から聞くとは思いもしませんでした。
どーでもいいことですが、彼の苦労話を聞いて、ちょっとウルウルきてしまって(涙腺ゆるい)
最後に渡したチップもちょっとだけ弾んでしまいましたよ。

コロンボへは夜遅くに到着したので、初日はニゴンボという空港から比較的近い宿に泊まって、
2日目はダンブッラへ。
寺院なんかを見たりしましたが、あんまり興味なし。(ごめんなさい)
翌日、シギリアロックへも上りました。
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シギリヤロックの歴史
紀元5世紀頃アヌラーダプラに首都を置き、各地に貯水池を作り統治を行っていたのは偉大なダートゥセーナ王。
王には2人の息子がいましたが、この二人は腹違いでした。
長男の名前はカーシャパ。これが後に狂気の王カッサパ1世となり、シギリアロックに城塞都市を創り上げる人物です。
中腹より望むシギリアロックの周囲 何にもありません…眺めは抜群。
よっぽど弟の反撃を恐れたのでしょう…。
彼は正式な王室の血を引いておらず、弟に王位を継承されてしまうと恐れ、父王であるダートゥセーナを監禁し自らが王位につきます。
さらに父王を脅し財産の全てを差し出すように迫りますが、父王は自らが作った貯水池に息子を連れていき、「これが私の財産の全てだ。」と言いました。
これに怒り、カーシャパは父王を殺害してしまいます。
しかしその後、結局は弟に攻め込まれ、反撃にあい、自害してしまいます。
兄の死により王位に着いた弟は、再び首都をアヌラーダプラに戻します。
こうして、打ち捨てられ忘れさられていた、シギリアの城塞都市が再び発見されるのは、19世紀後半になって、イギリス人が入植してからでした。

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http://tokuhain.arukikata.co.jp/colombo/2010/10/post_1.html より

シギリアロックに来ている人は年配の人も多かったのですが、
登るのが結構しんどそうでした。
「なにかの修行みたいだ」と言っていたおじさんもいました。笑
でも、山登りほどのものではないので、
みんなサンダルなど気楽な格好で。
だけど、スニーカーに帽子は必須かな―と思いました。
その方が楽に登れますね。
高所恐怖症の人はちょっとしんどいかも。

それから、中国人の多さにはビックリ!
スリランカの人が口を揃えて
「ちゅうごくじんはうるさい~」
と、言っていたのに笑ってしまいました。
まあ、どこの国にも国民性がありますからね。
控え目なスリランカ人には、ちょっと控え目でシャイな日本人が合っているのかも知れませんね。

と、寺院も周ったし、シギリヤロックにも行ったし、ジープサファリなんかにも参加しちゃったし、
一通り、ザッツ海外旅行ツアーのような日程を楽しんだのですが、
なんとこともあろうに、デジタル一眼レフで撮りためた1日目と2日目の写真のデータにアクセスできなくなってしまいました…
facebookにアップするために携帯で撮った写真だけが残されています。。
何があるか分かりませんね。。。

携帯で唯一撮っていたシギリアロックの写真。
ホテルの目の前にシギリアロックが・・・
なかなか圧巻でした。↓

シギリヤロック

 

インドと同じようなところかと思っていたという主人は、カオスなインド(ジャカルタやカルカッタや北の方など)とはあまりにも趣が違うスリランカをとても気に入っていました。
スリランカの人たちも、インドとスリランカは違う。と、ちょっと得意げにも見えるような物言いで、口をそろえて言うんです。
自分たちの文化や自然にとても誇りを持っているんでしょうね。

インド亜大陸から少し離れた光り輝く島。

ちょっと・・・なんとなくだけど、沖縄に似てるよな~
なーんて感じたりもしました。

さて、インド洋に向かって車(マーダワさんの白のプリウス)を走らせ、
3日目からはアーユルヴェーダを堪能です。

3日目からの写真はちゃんとあるのでまたブログにアップしていきますね!

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